欧博大相撲 大の里 横綱昇進 正式決定 伝達式での口上「唯一無二の横綱を目指します」【会見ノーカット

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夏場所で2場所連続優勝

日本相撲協会は28日、東京・両国の国技館で名古屋場所の番付編成会議と臨時の理事会を開き、春場所で12勝3敗で並んだ優勝決定戦を制し夏場所では14勝を挙げ2場所連続4回目の優勝を果たした大の里の第75代横綱昇進を正式に決めました。

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【動画】大の里 口上「唯一無二の横綱を目指します」

このあと協会の使者2人が茨城県阿見町の二所ノ関部屋を訪れて、大の里と師匠の二所ノ関親方に伝達式で昇進を伝えました。

これを受けて大の里は口上で「謹んでお受け致します。横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し、唯一無二の横綱を目指します」と決意を述べました。

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【ノーカット動画】横綱昇進で記者会見

このあと記者会見に臨んだ大の里は「本当にうれしい。これからが大事になるのでいっそう身を引き締めて頑張りたい」と喜びを語りました。口上で、大関昇進時と同じことばを入れたことについては「当初は“唯一無二”をいれない予定だったが、やはり考えてこのことばしかないと思っていれた。伝達式を経験することは最後になるし、このことばどおり頑張ると決めた」と話しました。

また、土俵入りの型については雲竜型にすると明かした上で「親方が雲竜型で憧れもあるし、指導してもらうことも楽しみ。綱を締める責任もあるのでしっかり頑張りたい」と話しました。

所要13場所での昇進については「記録的には速いが1場所1場所が身になって、スピードは意識せずに最終的にどこにいるかを信じてやってきた」と話しました。

その上で目指す横綱像については「まだまだ未知な世界だと思っているので今までどおり自分のスタイルを崩さず大の里を前面に出して、唯一無二の横綱を目指して頑張りたい」と力強く語りました。

大の里は石川県津幡町出身の24歳。おととし5月の夏場所で幕下10枚目格付け出しとして初土俵を踏みました。初土俵から所要13場所での横綱昇進は横綱が番付上の地位として明文化された明治42年以降、最も速い記録です。

また、日本出身横綱の誕生は元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方が平成29年の初場所後に昇進して以来、8年ぶりです。

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二所ノ関親方「まだまだ成長途中 まだまだ強くなる」

会見に同席した師匠で元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方は自身の横綱昇進と弟子の昇進の違いを問われると「僕はいちばん遅くあがって、大の里はいちばん速くあがったのでそこの違いはある。つい最近、大関にあがったばかりだが僕の場合は大関に5年いましたから僕の場合と違うものがある」と話しました。
大の里の横綱昇進については「入門してからしっかり体づくりをして地道にやり続けてきた稽古が少しずつ身になってきたと思う。つまらないような稽古をいちばんやってきたのが大の里なので、稽古はうそをつかないというのがはっきり出た」と評価しました。
その上で「一番上の番付に上がったが、まだまだ成長途中でこれからまた稽古を積んでまだまだ強くなると思うのでしっかり指導していきたい。背中で引っ張っていくぐらいの力士になってほしいし、大相撲全体を盛り上げる存在になってほしい」と期待を寄せました。

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父 中村知幸さん「みんなに愛されて強い横綱になって」

大の里の父親の中村知幸さんは「みんなに愛されて強い横綱になってほしい」と息子にエールを送りました。優勝を果たした夏場所について知幸さんは「場所前の稽古総見のころに体調が悪いと話していたので心配しましたが、初日の取組でいい動きをしていたので期待していました」と心境を明かしました。
その後は知幸さん自身が重圧を感じるようになり、場所中は毎日緊張で胃が痛んだということですが、優勝のかかった一番は駐車場に止めた車の中で1人で見守り、優勝が決まると思わず大きな声を出して喜んだと振り返っていました。知幸さんのもとにはすぐに本人から電話があり、熱い気持ちがこみ上げてきて「本当におめでとう。お前はやっぱりやる男だな。すごいな」と手放しでほめたといいます。今後については、けがや病気をしてほしくないという親心をのぞかせた上で「みんなに愛されて強い横綱になってほしい」とエールを送っていました。

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八角理事長「新しい時代を切り開いていってほしい」

日本相撲協会の八角理事長は、大の里の横綱昇進を受けて「夏場所を通して、よく集中していて安定感があった。落ち着いた立ち合いから慌てることがなく内容のよい相撲だった。全勝する難しさを肌で感じたと思うが、次の目標に向かって頑張ってもらいたい。これからは、立場も変わることで今まで以上に責任や多くの重圧と戦わなくてはならないが、横綱という最高位の誇りを胸に全力士の手本となるよう、率先して稽古に精進し、これからの新しい時代を切り開いていってほしい」とコメントしています。

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【解説】“横綱から横綱を”ということばを現実に

ついに正式に誕生した第75代横綱・大の里。

師匠でもある元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方が掲げる“横綱から横綱を”ということばを現実のものにし、師匠以来の日本出身横綱として新たな歴史をつくっていきます。

大の里は学生時代、2年連続でアマチュア横綱に輝くなど数々の実績を残し、大相撲の世界に入っても記録的なスピード出世を続けてきた、まさに大器です。その大の里の成長を促してきたのが師匠の二所ノ関親方=元横綱・稀勢の里です。

スピード出世を続ける大の里へ期待を寄せながらも「最終的にどこにいるかが大事」と決して焦ることなく丁寧な指導を続けてきました。2年前に大の里が入門してから稀勢の里が徹底的に指導してきたのが「基礎基本」でした。

大の里自身も学生時代はあまり意識してこなかったとして日々の稽古で時には師匠の直接指導を受けながら相撲の基本ともいえる四股やすり足、腰割り、てっぽうなど地道な稽古をひたすら続けました。

大の里が初土俵から所要4場所で新入幕を果たしたとき、稀勢の里は「あくまで新入幕は通過点。何回もこういう会見をできるような力士になってほしいし、看板は横綱大関なのでそうなるように指導していきたいし、そうなる素材はあると思う。つまらないことをやり続けられるか。1日1日を大事にできるか。それにかかってくる」と“横綱”ということばを使って期待感を表現しました。

その後も時には三番稽古をつけてもらうことで大関昇進につなげたり、大関になってからもぶつかり稽古で稀勢の里に胸を出してもらい、泥まみれになりながら何度もぶつかるなど、稀勢の里から体で直接学び、成長につなげてきました。

横綱昇進を決めた今場所前にも稀勢の里との三番稽古を行い、「師匠は強い。力とか技術とかではなく、仕切りや立ち合いの雰囲気。引き込まれるような気がある。これが綱の重みなのかもしれない」と横綱だけが持つ独特の空気感を肌で感じていました。

横綱昇進の伝達式のあとの会見で稀勢の里は「入門してからしっかり体づくりをして地道にやり続けてきて、その稽古が少しずつ身になってきた。つまらないような稽古を部屋でいちばんやっているのが大の里。稽古はうそはつかない、というのがはっきり出た」と、これまでの大の里の取り組みを認めていました。

一方で横綱までの道のりは対照的でした。おととしの夏場所で初土俵を踏んでわずか2年余り。大相撲界の歴史に、類を見ないほどの速さで横綱の地位まで上り詰めたのが大の里。初土俵から所要13場所と明治42年に横綱が番付上の地位として明文化されて以降、最も速い記録で横綱昇進を果たしました。

対する稀勢の里は、初土俵から所要89場所目と昭和以降では3番目に遅く、新入幕からは所要73場所と昭和以降最も遅い記録でした。19年ぶりの日本出身横綱ということもあり、大きな期待を集めましたが、2回目の優勝を果たした新横綱場所で負ったけがの影響もあり、昇進後は思うような成績が残せませんでした。

それでも「僕の横綱時代は自慢できるような結果ではなかったが、その中でいろいろと経験できたことが大の里に伝えられることだ。経験を少しでも伝えて、僕のまねをしなければ大丈夫なので、いろいろ教えていきたい」と自身の現役時代の苦しい経験を弟子のための糧にしたいとしています。

その背景にあるのが、稀勢の里が部屋を創設するにあたって掲げた理念、“横綱から横綱を”です。

自身も元横綱・隆の里のもと、鳴戸部屋で鍛えられ、さらに隆の里も元横綱・若乃花(初代)に育てられたまさに“横綱の系譜”の中で横綱・大の里が誕生しました。

大の里も「親方の教えを守って」、「親方のことばを信じて」と稀勢の里への信頼感を口にしてきました。

横綱昇進の伝達式後の会見では横綱土俵入りの型について師匠と同じ雲竜型にするとして「この部屋に入った時から決めていた」と稀勢の里への憧れが背景にあったことを明かしました。

横綱・稀勢の里から横綱・大の里へ。

「まだ成長途中でこれからまた稽古を積んでまだまだ強くなる。しっかり指導していきたい」と横綱昇進後も変わらない指導を誓う稀勢の里。横綱の師弟が紡ぐ“唯一無二”の物語が大相撲の新たな歴史となっていきます。

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【会見 主なやりとり】

第75代横綱に昇進した大の里と師匠の二所ノ関親方の会見の主なやりとりです。

Q.今の気持ちは?

(大の里)
「本当にうれしいです。素直にそのことばが一番ですけどより一層これからが大事になるのでさらに身を引き締めて頑張りたい」

Q.口上に込めた思いは?

「やはり考えて、このことばしかないと思って、唯一無二ということばを当初はいれない予定で考えていたが、このことばがぴったりだと思っていれた」

Q.いつごろ口上は決めた?

「きのうの昼ぐらいに考えた。何がいいか考えた結果、このことばだろうと思って込めました」

Q.大関の時と同じ唯一無二のことば。唯一無二の横綱とはどのような決意?

「もう伝達式を経験することはないし、最後の経験で横綱の口上にいれて、さらにこのことばどおり頑張るという思いを込めた」

Q.もう一度伝達式をやりたいと言っていたがどうだったか?

「去年の9月にここで伝達式を行うことができて、初めてだらけで、あっという間に終わってしまったというのが覚えていることで、あの経験をもう1度、2回しかできないので。うまくいけば2回、本来であれば1回で終わってしまうケースもあるが、自分の力でもう1回やりたい思いを持っていて、伝達式をもう1回経験できてうれしい」

Q.きょうはどうだった?

「緊張することなく堂々と言えた」

Q.土俵入りの型は?

「雲竜型。親方が雲竜型で憧れでもあるし、親方から指導してもらうことも楽しみだし、綱を締める責任もあるのでしっかり頑張りたい」

Q.二所ノ関親方、師匠として臨む伝達式はどうだったか?

(二所ノ関親方)
「大関と違って堂々とやっていたし、非常にうまくいったと思う」

Q.師匠との違いは?

「僕はいちばん遅く上がって、大の里はいちばん速く上がったのでそこの違いも。つい最近大関に上がったばかりですけど僕の場合は大関に5年いましたから僕の場合と違うものがありましたね」

Q.とてつもないスピード?

「入門してからしっかり体づくりをして地道にやり続けてきてその稽古が少しずつ身になってきた。つまらないような稽古をいちばん部屋でやっているのが大の里。稽古はうそはつかないというのがはっきり出た」

Q.所要13場所のスピード感は?

(大の里)
「あっという間にいきましたし、記録的には速いですけど、1場所ごとの経験が身になったし、スピードはあまり意識していない。入門した時に親方からは最終的にどこにいるかということを言い続けられていたし、そのことばを信じてずっとやってきた。いちばん上の番付の横綱に昇進することができてうれしいがこれからなのでしっかり頑張っていくことが大事」

Q.2年前に初土俵を踏んだが横綱の地位をどう見ていた?

「そこに関しては意識はなくて、横綱は大相撲の世界に入ったからには目指すべきものだと思っていたし、そう簡単になれない番付ですし、こうやってなれたことはうれしく思う」

Q.入門時に2年後に横綱になることは想像していた?

「考えていなかったし、去年の初優勝の時も想像していない。想像を超える2年間を過ごすことができて、そのためにも部屋での稽古が身になりましたし、それがいちばんいろいろつくってきたもの」

Q.自己分析すると、なぜ2年で上がれたか?

「とにかく基礎を忠実に、今まで大事にしていなかったが部屋に入って、腰割り、すり足、しこ、てっぽうを大事にしてやってきた結果が身になったからだと思う」

Q.学生出身では同郷の輪島関以来となる昇進になりますが、どう受け止めている?

「ひとつの目標ではあったし、学生出身の横綱は輪島さんしかいない。常々耳にして、目にしていた。こうやって偶然だが、スピード出世で横綱に上がって、同じ5月場所で上がって、タイミングも同じで、番付は並んだがまだまだかなわないと思っているので、同じ石川県出身の先輩を超えられるように頑張りたい」

Q.輪島関はどういう存在だった?

「小さいころに輪島に小さい記念館があって、そこに何度か家族で見に行ったりして、石川県にはこういう人がいたと父から教えてもらって、最初はそこまでピンとこなかったが、だんだん相撲を重ねるごとに、すごさがわかってきて、この世界に入って、なおさらすごさがわかった」

Q.ふるさとの石川にどんな思い?

「今でも実際に足を運んで、見た景色が衝撃を受けたし、地震のあとが大変な状況が続いているが昇進を伝えられたのは明るいニュースを届けられたと思うので、元気づけるためにも、これから横綱として頑張っていきたい」

Q.目指す横綱像は?

「まだまだ未知な世界だと思うので今までどおり自分のスタイルを崩さずに大の里を前面に出して唯一無二の横綱を目指して頑張っていきたい」

Q.相撲内容のスタイルはどう考えている?

「今場所が終わったばかりなので全部がよかったわけではないので反省して、限られた時間になると思うので、たくさん稽古積んで次の場所に向けて頑張っていく」

Q.まだまだ反省がある?

「100点満点ではないと思う」

Q.特に高めていきたいところは?

「今までどおりではないと思うし、またそのときになったら考えることがいちばん」

Q.二所ノ関親方に。横綱の心構えはどう伝えてきた?

(二所ノ関親方)
「いろいろと話した」

Q.どんな横綱になってほしい?

「背中で引っ張っていくぐらいの力士になってほしいし、大相撲全体を盛り上げる存在になってほしい」

Q.課題もある?

「いちばん上に上がったが、まだ成長途中で、これからまた稽古を積んでまだまだ強くなると思うので成長途上だと思っている。しっかり指導していきたい」

Q.唯一無二になるために必要なことは?

「入った時から基礎のことしか言っていない。技術的なことを言うこともあるが、それができあがって芯の強さが強くなって本当の相撲が取れると思う。まだまだ伸びる。横綱に上がったからといって、遅く降りてきて基礎を適当にやって相撲を取ればいいというわけではない。そういうところから下を引き上げる気持ちでやってほしい」

Q.4代続く横綱の系譜になるが、師匠として意識してきた?

「2021年に相撲部屋を始めてからひとつの目標として理念に掲げてやってきたこと。ようやくひとつかなったのかなと思うので、またこれから強い弟子を育てていきたい」

Q.名古屋場所でどんな姿を見せたい?

(大の里)
「石川県から近いし、たくさんの人が応援に来てくれると思うので、また新横綱の場所で大事になると思うので稽古に精進していきたい」

Q.家族に対する思いは?

「まずは丈夫な体に産んでくれてありがとうということと大きく育ったのも親に感謝ですし、横綱に上がれたことは節目ではないが、いい姿を見せられるように頑張りたい」

Q.夏場所前に師匠と2人で三番稽古をやってきたが、どんな意味を持つ時間?

「だんだん親方との稽古が増えて今回も稽古をつけていただいて、自分自身びっくりしましたし、親方と相撲を取って自信になったので、いいところをぶつけられて、いい内容を親方との稽古で取ることができて、その自信があって場所に臨むことができたので、親方との稽古は大きなもの」

(二所ノ関親方)
「なかなか今の上位陣で左四つの力士がいないので、少しでも大の里の刺激になればと思ってやったが今場所に限っては半年ぶりに稽古したが隙がないというか体に隙間がなかったので今場所はいいぞと肌で感じて、いいところまでいくと思ったことが実現できたので、よかった。もう僕も体が壊れたので、うちの部屋の白熊にしっかり頑張ってほしい。そっちを育てて強くさせて、大の里の稽古相手にさせようと思う」

Q.何をいちばん大切に?

(大の里)
「これからが大事になってくるので、精進していきたい。変わることなく基礎基本を忠実にやって頑張っていきたい」

Q.雲竜型に決めたのは?

「この部屋に入った時から決めていた。まだ実感はないが横綱土俵入りの映像すら見ていないので勉強して教えてもらいたい」

Q.二所ノ関親方に。いちばん求めることは?

(二所ノ関親方)
「強さも大事だし、星数も伸ばさないといけない。優勝争いもしなくてはいけないが、人の見本になって憧れを持たれるような力士になってほしい。言動も行動も大事になってくるので自覚を持ってこれから横綱としてやってほしい」

Q.75代で石川県で3人目?

(大の里)
「相撲が盛んな県で相撲王国 石川と呼ばれているので、相撲王国 石川が低迷しつつあったので復活できたと思う」

Q.唯一無二しかないと思ったのはなぜか?

「自分自身考えて何があるかと思った結果、頭に浮かんだのがこのことばしかなかった」

Q.ほかの候補はあった?

「いくつかあったが、やはりこのことばだろうと思った」

Q.リハーサルはした?

「部屋のみんなでやって、そこで発表した」

Q.師匠は新横綱場所で優勝しているが意気込みは?

「これからが大事になってくるので稽古に精進して名古屋に向けて頑張りたい」

Q.横綱と呼ばれることへの気持ちは?

「まだまだ慣れないし、これから慣れていく」

Q.これからの目標は?

「内に秘めて、それに向かって頑張っていく」

(二所ノ関親方)
「僕の横綱時代は自慢できるような結果ではなかったが、その中でいろいろと経験できたことが大の里に伝えられることなので、経験を少しでも伝えて、僕のまねをしなければ大丈夫なので、いろいろ教えていきたい」

Q.そのことばを聞いて?

(大の里)
「しっかり親方の教えを守って親方のことを信じて言うことを聞いて頑張っていきたい」

【データ】明治42年以降 最速で横綱昇進

学生出身で、幕下付け出しでデビューした大の里は初土俵から所要13場所での横綱昇進で、横綱が番付上の地位として明文化された明治42年以降では最も速い記録です。

現在と同じ、年6場所制が定着した昭和33年以降で比べても
▽同じ石川県出身で幕下付け出しでデビューした輪島の21場所
▽朝青龍の25場所
▽曙の30場所を大きく更新しました。

さらに、新入幕から所要9場所での横綱昇進は、同じく昭和33年以降では昭和の大横綱・大鵬の11場所を抜いて最も速い記録です。

また、学生出身の力士が横綱に昇進したのは輪島以来、2人目です。石川県出身の横綱の誕生は輪島以来、52年ぶり3人目です。

《ゆかりの地からも祝福》

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地元 石川県津幡町の役場に横綱昇進祝う懸垂幕

大の里の地元、石川県津幡町では横綱昇進を祝おうと町役場に懸垂幕を取り付ける作業が行われました。懸垂幕は、長さ7メートル、幅80センチ余りで「史上最速 所要13場所 横綱昇進」と書かれています。懸垂幕が掲げられると集まった職員や住民たちが拍手をして横綱昇進を祝っていました。

津幡町の矢田富郎町長は「横綱昇進の懸垂幕を掲げることができて地元の町長としてうれしいです。自分の目が追いつかないスピードで横綱まで昇進したことに驚いています。これからも唯一無二のお相撲さんになっていってほしいです」と話していました。

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地元 石川県で新聞号外

石川県津幡町出身の大の里が横綱に昇進したことを受けて、金沢市で新聞の号外が配られました。

号外を受け取った金沢市の60代の女性は「明るいニュースです。能登の人の力になると思います。人間的にも横綱にふさわしく、唯一無二だと思うので、これからも応援したいです」と話していました。能美市の40代の女性は、「強いなと思って見ていました。石川の星としてこれからも頑張ってほしいと思います。東京・両国の国技館にも足を運びたいと思います」と話していました。

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中学・高校時代過ごした新潟 糸魚川では“祝福のアドバルーン”

大の里が相撲の実力を高めるため、親元を離れて中学・高校時代を過ごした新潟県糸魚川市では、市の関係者が市民会館に集まり、横綱への昇進を祝うメッセージをつるしたアドバルーンを打ち上げました。
また市民会館の壁には「祝 能生中学校 海洋高校出身力士 横綱昇進」などと書かれた懸垂幕が掲げられ、集まった市民などが地元にゆかりのある横綱の誕生を祝っていました。

大の里が県立海洋高校に在学中に校長だった糸魚川市の久保田郁夫市長は「横綱昇進の知らせを聞いて感無量の気持ちです。大の里は糸魚川市の誇りです。素直な子なのでいろいろなものを吸収して『唯一無二』の大横綱になって欲しい」と話していました。糸魚川市では28日夜8時から市内の3か所でお祝いの花火を打ち上げることにしています。

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部屋がある茨城県阿見町でも期待の声

所属する二所ノ関部屋がある茨城県阿見町では、さらなる活躍に期待の声が聞かれました。

自営業の50代の女性は「夏場所は食事をつくる手を止めてテレビの前で応援しました。元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方が育てた力士が横綱になるのは夢のようで町民としても光栄です。盛り上がっていきたい」と話していました。

◇大の里(おおのさと) 経歴

大の里は石川県津幡町出身の24歳。身長1メートル92センチ、体重191キロの恵まれた体を生かして圧力をかけ、右を差しながら左のおっつけもつかって前に攻める相撲が持ち味です。

小学校を卒業後、新潟県糸魚川市に“相撲留学”し、朝早くから夜遅くにまで及ぶ稽古で、多いときには1日100番以上相撲を取るなど高校までの6年間、厳しい稽古に励みました。

相撲の強豪、日体大に進学後は2年連続で「アマチュア横綱」に輝くなど、数々のタイトルを獲得し、大学卒業後のおととし5月の夏場所で幕下10枚目格付け出しとして初土俵を踏みました。その後、おととしの秋場所で新十両への昇進を果たすと、力強い立ち合いから大きな体を生かした前に攻める相撲を持ち味に2場所続けて12勝3敗の2桁勝利を挙げ、去年の初場所で新入幕を果たしました。初土俵から4場所での新入幕は、昭和以降では3番目に並ぶスピード出世でした。

そして去年の春場所では千秋楽まで優勝争いに加わると、続く夏場所では初日に横綱・照ノ富士から初白星を挙げるなど勝利を重ね、12勝3敗の成績で初優勝を果たしました。初土俵から7場所目での優勝は幕下付け出しの力士としては元横綱・輪島の15場所目より速く、最も速い記録でした。

さらに去年の秋場所で13勝2敗の成績で2場所ぶり2回目の優勝を果たし、場所後に大関に昇進しました。初土俵から所要9場所での大関昇進は昭和以降では最も速い記録です。

大関昇進後の2場所は優勝争いに絡むことができませんでしたが、ことしの春場所で12勝3敗でならんだ高安との優勝決定戦を制し、自身3回目、大関として初めての優勝を果たしました。

初めての綱とりに挑んだ夏場所も14勝1敗で制して自身4回目、大関として2場所連続の優勝を果たしていました。

【2022年12月公開】2年連続でアマチュア横綱

◇横綱昇進の“口上”とは

日本相撲協会の使者が横綱昇進を伝える伝達式の際、力士は「口上」を述べて、横綱としての決意を示します。最近の「口上」では、四字熟語が用いられることが多くなっています。

貴乃花(2001年5月)

【貴乃花】
22回の優勝を果たした貴乃花が平成6年に横綱に昇進した際は「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で、力士として相撲道に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫く所存です」と口上を述べました。
『不撓不屈』は貴乃花が大関昇進の口上でも用いた言葉で「どんな苦労や困難にもくじけないこと」を意味し、『不惜身命』は「身や命をささげて惜しまない」という意味の言葉です。

【若乃花】
貴乃花の兄の若乃花が平成10年に昇進した際は「堅忍不抜(けんにんふばつ)の精神で精進していきます」と口上を述べました。『堅忍不抜』は「どんなことがあっても心を動かさず、我慢して堪え忍ぶ」という意味の言葉です。

【朝青龍】
モンゴル出身の横綱も過去に口上で四字熟語を用いました。平成15年に朝青龍が横綱に昇進した時は「横綱として相撲道発展のため『一生懸命』頑張ります」と口上を述べました。

【白鵬】
平成19年の白鵬は「精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」と口上を述べました。

【豊昇龍】
ことしの初場所後に昇進した豊昇龍は「気魄一閃(きはくいっせん)の精神で精進いたします」と大関昇進の際と同じことばで決意を述べました。

一方で四字熟語を使わないケースもありました。

【稀勢の里】
大の里の師匠で、平成29年に昇進した稀勢の里は「横綱の名に恥じぬよう精進いたします」という口上でした。

夏場所優勝翌日の会見(2025年5月26日)

大の里は、去年大関に昇進した際には「唯一無二の力士を目指し相撲道に精進します」と口上を述べています。

26日に横綱審議委員会から横綱に推薦された際には、“唯一無二”ということばについて「もう使ってしまったので」などと話していて、横綱昇進の伝達式ではどのようなことばで決意を示すのか注目されていました。

【データ】平成以降に誕生の横綱

※()は出身地。期間は横綱在位。回数は優勝回数。

▽第63代:旭富士(青森県)平成2年9月~平成4年1月/4回

▽第64代:曙(米ハワイ)平成5年3月~平成13年1月/11回

▽第65代:貴乃花(東京都)平成7年1月~平成15年1月/22回

▽第66代:若乃花(東京都)平成10年7月~平成12年3月/5回

▽第67代:武蔵丸(米ハワイ)平成11年7月~平成15年11月/12回

▽第68代:朝青龍(モンゴル)平成15年3月~平成22年1月/25回

▽第69代:白鵬(モンゴル)平成19年7月~令和3年9月/45回

▽第70代:日馬富士(モンゴル)平成24年11月~平成29年11月/9回

▽第71代:鶴竜(モンゴル)平成26年5月~令和3年3月/6回

▽第72代:稀勢の里(茨城県)平成29年3月~平成31年1月/2回

▽第73代:照ノ富士(モンゴル)令和3年9月~令和7年1月/10回

▽第74代:豊昇龍(モンゴル)令和7年3月~/2回

2025-06-03 23:16 点击量:7