【太平洋戦争とは】小学生向けにわかりやすく解説!開戦の原因は何?

太平洋戦争について、小学生向けに、超わかりやすく年表や真実を解説いたしました。

太平洋戦争とは何か?そして、なぜあの戦争は起こってしまったのか?日本の敗因は何だったのか?

実は当時、この戦争は大東亜戦争(だいとうあせんそう)と呼ばれていました。

しかし日本を悪者にしたいアメリカ軍が大東亜戦争と呼ぶことを禁止していたのです。

我々の先祖は、本当に悪だったのか?

実はあの戦争は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、日本国民とアメリカ国民の両方をだまして、無理やり始めた戦争だったのです。

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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

太平洋戦争とは、1941年12月8日~1945年8月15日まで、日本とアメリカの間で起こった戦争のこと

太平洋戦争は、アジア各地を侵略していた日本をアメリカが懲らしめた・・・わけではなく、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの罠によって始まったもの

太平洋戦争は当時、大東亜戦争(だいとうあせんそう)と呼ばれていたが、大東亜という言葉が広まると、日本軍が悪ではないことがバレてしまうため、GHQが大東亜戦争と呼ぶことを正式に禁止した

太平洋戦争とは何か、小学生向けにわかりやすく解説

太平洋戦争とは

1941年12月8日~1945年8月15日の間に、おもにアメリカ・イギリスと日本が戦った戦争のことです。

第二次世界大戦と呼ばれる世界戦争が、このとき行われていましたが、その一部が太平洋戦争なのです。

1941年12月8日に、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃。のちにこの先制攻撃は真珠湾攻撃と呼ばれることになります。この真珠湾攻撃から、太平洋戦争は始まりました。

1942年6月5~7日、ミッドウェー海戦で、日本がアメリカに大敗北。この敗北をきかっけにして、日本は一気にアメリカに負け始めるのです。

1945年8月6」、広島に原子爆弾リトルボーイが落とされ10万人以上が亡くなる。

1945年8月9日、長崎に原子爆弾ファットマンが落とされ7万人以上が亡くなる。

1945年8月15日に、当時の昭和天皇がアメリカなどの国に降伏すること決定。国民にラジオで降伏することを伝えたのでした。(玉音放送)

3年8ヶ月に及ぶ太平洋戦争は、こうして日本の敗北に終わったのです。

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「太平洋戦争」の参加国一覧

太平洋戦争に参加した国々を、一覧でご紹介します。

ただ、1つの国が2つに別れて、日本とアメリカの陣営に分かれて戦ったこともあるため、少しややこしくなっています。

例えば中華民国は、汪兆銘政権が日本側(枢軸国)、国民党政府がアメリカ側(連合国)についているので、多少ややこしくなっていることをご理解くださいませ

太平洋戦争の参加国一覧

枢軸国(日本側)

大日本帝国

タイ

中華民国(汪兆銘政権)

インド(自由インド政府・仮)

フランス(ヴィシー政権・ナチスドイツと親しい政権)

連合国(アメリカ側)

アメリカ合衆国

イギリス

オーストラリア

ニュージーランド

オランダ

フィリピン

中華民国(国民党)

中華民国(国民党革命軍)

中華民国(共産党)

ソビエト連邦

フランス臨時政府

ベトナム

メキシコ

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「第二次世界大戦」参加国一覧

ここでは第二次世界大戦の参加国一覧もご紹介いたします。

太平洋戦争は、第二次世界大戦の一部ですので、重複する部分もあります。

枢軸国(日本側)

大日本帝国

ドイツ

イタリア

ルーマニア

ハンガリー

フィンランド

ブルガリア

タイ

ビルマ(のちのミャンマー)

連合国(アメリカ側)

アメリカ合衆国

イギリス

オーストラリア

ニュージーランド

カナダ

南アフリカ

中華民国

フランス

ポーランド

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戦争が始まった原因は何?きっかけはアメリカ大統領の罠

太平洋戦争が始まったきっかけは何だったのか?

ここでは

教科書に書かれている通説

一部の学者さんたちが主張している真実

この2つを解説したいと思います。

教科書に書かれている説

太平洋戦争のきっかけは、日本が中華民国を侵略したことと言われています。

当時、日本は中華民国と戦争をしていました。(支那事変

アメリカやイギリスは、日本が中華民国を侵略していたことを、強く非難していました。

アメリカは、日本へ石油を大量に輸出していました。しかし中華民国の侵略をやめさせるために、石油の輸出を停止してしまいます。

石油がなくては車や戦車、航空機が動きません。つまりこのまま石油の輸出が停止したままだと、日本は戦争が続けられなくなってしまうのです。

そのため、日本はアメリカに対して石油の輸出を再開するように交渉しました。

しかしアメリカとアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、日本への石油の輸出再開を許しません。

これに怒った日本は、アメリカの敵であったドイツやイタリアと三国同盟を結び、ハワイの真珠湾を突然攻撃。

真珠湾へ先制攻撃をした日本に激怒したアメリカは、日本の10倍以上の国力と軍事力を使って、日本へ反撃を開始します。

その結果、日本は惨敗。爆弾を雨のように落とされるじゅうたん爆撃をくらって、日本中が焼け野原となったのでした。

挙句の果てには広島や長崎」に原子爆弾を落とされて、数十万の国民が一瞬で死亡。

日本はポツダム宣言という無条件降伏の要求を受け入れて、アメリカ・イギリスなどに降伏。

ここで太平洋戦争は終わったのです。

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真実

歴史の教科書などに掲載されている太平洋戦争については、上で解説いたしました。

これから先は、一部の学者たちが主張している太平洋戦争の真実を解説いたします。

真実とはすなわち、太平洋戦争は、実はアメリカの罠だった、というものです。

太平洋戦争のきっかけをつくった人物、それは当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトです。

《フランクリン・ルーズベルト》
「引用元ウィキペディアより」

明治維新から約70年。日本は台湾や朝鮮半島、満州(中国の東北部)を併合して、強大になっていました。

フランクリン・ルーズベルト大統領は、日本がアジアで強大になることをおそれていました。

もともと差別主義者であったルーズベルトは、有色人種であった日本人を嫌っていたのです。

ルーズベルトの一家は、奴隷売買で巨万の富を得た一家だったそうです。

それに対して日本は、当時から人種差別の撤廃と、奴隷たちの解放を主張していました。

そのためか、ルーズベルトは日本人を極端に嫌っていたのです。

日本が中華民国と戦争をしていたことは、はっきり言ってアメリカとは関係ありません。

当然です。

アメリカからすれば日本と中華民国の戦争は、世界の裏側で行われている事件なのですから、なんの関係もありません。

にもかかわらずルーズベルトは、日本を強烈に批判し、徹底的に挑発していました。

なぜルーズベルトは日本を批判し挑発していたのか?

理由は、日本を追いつめることでアメリカを攻撃させたかったから。

これは、どういうことなのでしょうか?

これからくわしく解説していきます。

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ルーズベルト大統領は、大統領の選挙に立候補したとき、こんなことを言っていました。

アメリカは戦争をしません。みなさんの子供たちを戦争にはおくりません

と、アメリカ国民と約束していたのです。

しかし当時のヨーロッパでは、日本と同盟をむすんでいたアドルフ・ヒトラーのひきいるナチス・ドイツが、アメリカの友国イギリスを攻撃し圧倒。

さらには大国ソビエト連邦にまで攻撃をして圧倒していました。

《アドルフ・ヒトラー》
「引用元ウィキペディアより」

そのソビエト連邦は、このとき極めて危険な状況におちいっていました。

ドイツとその同盟国の日本に、東西から挟み撃ちにされかねない状況。つまり、ソ連は滅亡寸前の状態だったのです。

もしもソビエト連邦が滅びたら、ドイツはイギリスをかんたんに滅ぼしてしまい、アメリカはドイツと日本に挟み撃ちにされて、下手したら滅亡してしまいます。

そのためアメリカは、ソ連やイギリスがドイツや日本に敗北する前に、戦争に参戦して日本やドイツを叩き潰したかった。

もしもアメリカが戦争に参加して、勝利すれば、日本やドイツのような強国からの圧力から逃れることができるからです。

しかし

戦争しません。みなさんの子供たちを戦争にはおくりません

と、国民と約束していたルーズベルト大統領は、日本やドイツに先制攻撃が出来なかったのです。

そんなことをしたら正義感の強いアメリカ人を怒らせることになり、自分は大統領の座から引きずり降ろされるだろうから・・。

アメリカは

敵を挑発し、相手に攻撃させてから、反撃する

という戦い方を得意としていました。

卑怯な先制攻撃を行った相手を叩き潰しましょう

と言って、正義感の強いアメリカ人を戦争に引きずり込む・・。

21世紀に起こったアフガニスタン戦争やイラク戦争も、9.11同時多発テロを利用してアメリカ国民の怒りに火をつけて戦争に引きずり込んでいます。

特にイラク戦争は

イラクが大量破壊兵器を持っている

という理由で始められましたが、そもそも大量破壊兵器などありませんでした。

9・11同時多発テロの恐怖をあおり、大量破壊兵器への恐怖とつなげて、アメリカ国民を戦争に誘導したというのが真相です。

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太平洋戦争のとき、アメリカ軍をひきいていた司令官「ダグラス・マッカーサー」は、こう言っています

日本は石油も鉄もゴムも産出しない。

そういう国にこれらの輸出を禁じたら、必ず戦争を起こす

《ダグラス・マッカーサー》
「引用元ウィキペディアより」

その言葉通り、アメリカはあらゆる罠をはりめぐらせて、日本を追いつめたのでした。

そうすることで、日本を戦争するしかないところまで追いつめ、戦争へと引きずり込んだのです。

アメリカは日本へ石油や鉄の輸出を禁止するなど、徹底的に日本を挑発して苦しめます。

最終的にハル・ノートとよばれる、日本と縁を切る手紙(最後通牒)を送りつけて、日本人の怒りに火をつけたのでした。

これに怒った日本は、連合艦隊司令長官山本五十六の発案により、アメリカのハワイ真珠湾に、攻撃を開始してしまうのです。

《山本五十六》
「引用元ウィキペディアより」

ちなみに当時、日本がアメリカに対して、石油や鉄の輸出禁止をやめてくれるように説得していた行為は、戦争を回避するための行為として、かなり評価されていました。

20世紀最高の戦略家と呼ばれたリデル・ハートは、日本の粘り強い交渉を忍耐強いとして、高く評価しています。
(リデル・ハートは、広島・長崎へ落とした原爆について、アメリカを強く非難していた)

アメリカは真珠湾を、宣戦布告もせずに突然攻撃した日本のことを、卑怯である、としてつよく非難していました。

先制攻撃はそんなに怒られるほど、卑怯な行為だったのでしょうか?

当時の世界の常識として、先制攻撃はそれほどめずらしいことではありません。

日本から先制攻撃を受けたことがあるイギリスは、それほど日本を強く非難していません。なぜならそれが常識だったから。

しかし、真珠湾を先制攻撃されたアメリカとルーズベルト大統領は、日本を強烈に批判。

日本は卑怯だとして、後世に残る名演説をアメリカ国民に向けて行ったのです。それに怒ったアメリカ国民は、第二次世界大戦への参戦を決めて、日本やドイツと開戦。

日本の真珠湾攻撃で、4000人近い犠牲を出していたアメリカの国民たちは、ルーズベルトが戦争に参戦すると表明しても、それを批判することはありませんでした。

悪の日本を倒す

その正義のために、アメリカ人は立ち上がったのです。それがルーズベルトの罠だとも知らず・・・。

日本は、真珠湾攻撃のあと快進撃をつづけたものの、ミッドウェー海戦でアメリカに惨敗し、そこから一気に敗北へと転落していきます。

実は、ルーズベルトは日本が真珠湾を攻撃しようとしていることを、真珠湾攻撃が行われる1941年12月8日の以前から、すでにわかっていました。

日本の暗号通信を盗み聞いて、その暗号解読に成功していたのです。

しかしルーズベルト大統領は、そのことをハワイ真珠湾のアメリカ軍に知らせませんでした。そこには4000人のアメリカ軍がいたにもかかわらず。

なぜか?

日本軍の餌食(えじき)にするためです。

彼らが無残に日本軍の餌食となれば、アメリカ人の怒りに火をつけることができ、第二次世界大戦へ堂々と参戦できます。

ルーズベルト大統領の策略は見事に成功。

日本は真珠湾を攻撃し、アメリカ国民の怒りに火をつける事となりました。それが自分たちの大統領が仕掛けた罠であるとも知らず。

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もしもルーズベルトが日本を挑発などせずにいたら、広島や長崎の原爆で数十万の人間がなくなることはありませんでした。

それどころか、太平洋戦争で亡くなった300万の日本人は、死なずにすんだはずなのです。

太平洋戦争でアメリカ人が亡くなることも真珠湾攻撃でアメリカ兵が亡くなることもなかったはずです。

これが真珠湾攻撃陰謀説です・・・。

アメリカ軍のトップであるマッカーサー司令官や、フランクリン・ルーズベルトの前の大統領フーバー大統領は、この真珠湾攻撃陰謀説を真実であるとして、ルーズベルト大統領を強く非難しています。

ちなみに、原爆を落としたことについて、アメリカは

これ以上戦争の犠牲を増やさないためにも、原爆を落として日本の降伏をうながしたことは正しい判断だった。

原爆がなかったら、さらに多くの人が死んでいただろう

と言って、その正当性を主張していますが、これは真っ赤な嘘です。

日本は

天皇や皇室には手を出さない。

天皇や皇室を処罰したり裁判にかけたりしない

と約束してくれれば、あとは無条件で降伏すると、すでにアメリカへ伝えていました。

アメリカはそれを知ってこのままでは戦争が終わってしまうことを悟り、その前に原爆を落として、その威力を確認しようとしたのです。

国会議員の青山繁晴さんが言っていました。

戦争を終わらせるために原爆を落としたのではない。

戦争が終わってしまうから、その前に原爆を落としたのです。

と・・・。

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日本からすれば、真珠湾攻撃さえしなかったら、アメリカと戦争をする必要はありませんでした。

それにもかかわらず、日本は真珠湾を攻撃してしまった・・・。

ルーズベルト大統領が戦争はしませんと約束して大統領に当選したことを、当時の日本政府が知らないはずはないのに。

当時の日本軍は残念ながら、それだけおろかだったということです。

もっとも、このときの日本はソビエト連邦のトップ・スターリンやコミンテルン(国際共産主義運動)によるスパイ工作で、めちゃくちゃになっていたともいわれています。

そのため、日本はそもそもスパイの罠にハマってしまっていた可能性もありますけど・・・。

もちろんそんなことは、なんの言い訳になどなりませんが・・。

ちなみに、アメリカは戦争に勝利したものの、それに見合うような利益を得たわけではありません。

太平洋戦争

アメリカは勝利したものの、何か目立って得したわけではないのです。

アメリカは、日本とドイツという驚異を取り除いた・・・という戦果を得たわけですが、そんなものは莫大な国力を消費する戦争で得る必要はありません。

それは外交努力で得られるはずのものです・・。

つまり、アメリカにとっても太平洋戦争は無駄だった可能性があります

この戦争でもっとも得をしたのはスターリンが率いるソビエト連邦。

ソビエト連邦を挟む位置にある、西のドイツと、東の日本という、二大国をアメリカ・イギリスの力を借りて叩き潰せたのですから。

日本を太平洋戦争へと追い込んだ、アメリカの最後通牒ハルノート。

このハルノートを作った人物は、実はソビエト連邦のスパイだった・・・という話は、今では有名な話だともいわれています。

日本とアメリカにスパイを送り込んでいたソビエト連邦・・・。

軍事大国だと思われているソビエト連邦(ロシア)ですが、実は伝統的な外交大国なのです。

外交を支えているのはスパイ。つまりソ連はスパイのあつかいなどお手の物で、スパイ大国でもあるということです。

日露戦争のとき、勝利した日本は天才外交官・小村寿太郎を、ロシアとの講和会議に送り込みます。

しかし、天才・小村寿太郎ですらも、外交大国・ロシアから賠償金を取ることは出来ませんでした。

ロシアを外交で手玉に取った人物といえば、鉄血宰相と呼ばれたドイツの天才宰相・オットー・フォン・ビスマルクただ一人。

《ビスマルク》
「引用元ウィキペディアより」

太平洋戦争

何よりも利益を得たのは、ソビエト連邦だったのです。

そんなソ連も、第二次世界大戦が集結した46年後の1991年12月25日に崩壊。

こんなことでは、ますますあの戦争はなんだったのか?と考えさせられてしまいます。

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大東亜戦争から太平洋戦争へ名前が変わった理由

太平洋戦争における、もともと日本の目的は侵略ではなく、大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)と呼ばれるアジアのヨーロッパからの独立でした。

大東亜の東亜とは、東アジアや東南アジアのこと。

東アジアとは、

日本

チャイナ

モンゴル

台湾

朝鮮半島

のことです。

東南アジアとは

マレーシア

フィリピン

ミャンマー

インドネシア

ベトナム

タイ

など。

当時、アジア全域ではその大半が

アメリカ

フランス

イギリス

などの列強諸国に植民地として支配されていました。

日本をリーダーとして、アジアをヨーロッパやアメリカから独立させることを理想とした大東亜共栄圏という考えを打ち出して、東南アジア諸国

インドシナ

インドネシア

ベトナム

タイ

などを植民地としていた西欧列強と戦争をしたのです。

大東亜共栄圏

ヨーロッパからの独立が戦いの目的であると、日本は主張していたわけです。

実際、日本がヨーロッパ諸国と戦争したことがきっかけで、植民地から開放された国々は、アジアにたくさんあります。

インド

マレーシア

ビルマ(ミャンマー)

などなど。

しかし大東亜という言葉が広まることは、アメリカにとって都合(つごう)が悪かったのです。

なぜかというと、大東亜という言葉が広まってしまうと、日本はアジアの人々を助けようという目的で戦争をしていた、というイメージが広まることになります。

そうなると、あの戦争が日本を正義とする戦いになってしまい、アメリカが悪者になってしまうわけです。

アジアの各地を侵略した悪者の日本を、正義のアメリカがこらしめた

そういうイメージを世界にアピールしたかったマッカーサーたちアメリカは日本はとんでもなく悪いことをしたのだと、子どもたちに教え込むために大東亜という言葉を封印させ太平洋戦争と呼ばせようとしたのでした。

大東亜戦争と呼ぶことを、日本を占領していたGHQは正式に禁止しています。

そのため、現在の日本の教科書では、真珠湾攻撃から始まった戦争を太平洋戦争と記しているのです。

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大東亜戦争は、ヨーロッパの植民地となっていたアジアを開放するための戦争だった

アジア諸国の人々の言葉が、それを証明しています。

以下にその一部をご紹介いたします。これらはあくまでも、ごく一部です。

彼ら偉人たちのお言葉は、現在の日本人に勇気を与えてくれるものです。

インド初代首相ネール

「彼ら(日本人)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。

それゆえ、インドはサンフランシスコ講和会議に参加しないし、講和条約にも調印しない」

インドのパル判事(極東軍事裁判の判事であり、日本の戦犯全員の無罪を主張した)

「ヨーロッパ・アメリカは日本が侵略戦争を行ったと歴史に残すことで、自分たちのアジア侵略が正当なものだったと誇示することが目的だったのだ。
日本の子弟たちがゆがめられた罪悪感をもって卑屈に流れていくのを平然と見過ごしてはならない。間違った彼らの宣伝を払拭すべきなのだ」

ビルマ(ミャンマー)初代首相バ・モウ

「私達を白人の支配から救出してくれたのは日本だ。私達は大戦の終わりには日本を見捨てたが、その恩を忘れてはいけない。

ビルマの真の独立記念日は

1948年1月4日(ビルマ連邦成立の日)ではなく、

1943年8月3日(日本軍によるビルマ独立宣言日)だ。

日本ほどアジアに貢献した国はない。

日本ほど誤解されている国もない」

マレーシア首相マハティール

「日本の戦争責任を問うならば、それ以前に非人道的な支配と収奪を続けた欧米宗主国の責任はどうなるというのだ。

日本が来てくれたことで、植民地支配から開放され近代化がもたらされたのだ」

台湾の実業家・許文龍

「私はかつて、日本人だった。そのことを誇りに思っている。

それとは逆に、今の日本人の皆さんは、自分が日本人であることを誇りに思っていないようですね。

どうか、皆さん過去を正して正当なる評価と自信を取り戻してください」

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太平洋戦争の敗因は何だったのか?

日本が敗北した理由、敗因はなんだったのか?

敗因は、いくつもありますが

「日本がアメリカの10分の1以下のチカラしかなかった」

「自分より強い相手に勝つための、正しい判断が全然できなかった」

ことなどがあげられるでしょう。

日本はルーズベルト大統領の罠にハマり、真珠湾攻撃などしなければ、アメリカと戦争せずに済みました。

それよりも、西のヨーロッパでドイツと必死に戦っているスターリンがひきいたソビエト連邦(今のロシア)を東から攻撃すれば、ソビエト連邦を簡単に倒せたはず。

ソビエト連邦を倒せば、ドイツはイギリスに圧勝できたはず。

ドイツ軍はイギリスを何度も空爆していたのですから。

そうなれば、日本とドイツで、アメリカをはさみうちに出来たはずです。実は・・・やり方さえ間違えなければ、アメリカを倒すのは、それほど難しくなかったはずなのです。

日本は、ソビエト連邦を攻撃すべきだったのに、なぜか真珠湾を攻撃してしまった・・。

アメリカが参戦してきたら、日本は負ける・・・。

その前にアメリカの基地である真珠湾を叩きつぶしておこう

それが真珠湾攻撃の理由らしいのですが、ルーズベルトが

戦争はしません。

みなさんの子供たちを戦争におくることはしません

とアメリカ国民へおおやけに約束しているのですから、放っておけばよかったです。

間違った選択をあちこちでしてしまったこと

真珠湾を攻撃して、アメリカの罠にひっかかったこと

敗因はいくつもありますが、ルーズベルト大統領の罠にハマってしまったことが、最大の敗因だと思います。

やはりソ連やコミンテルンのスパイ工作により、日本軍は真珠湾へと誘導されてしまったのかもしれません。

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戦死者および総死者の数は?300万人以上が亡くなった!

大東亜戦争(太平洋戦争)で、一体何人の人が戦死したのでしょうか?

日本軍の兵士たちは

「2,121,955」人

が亡くなっています。

実に200万人おの兵士たちが、あの対戦で亡くなっているのです。

民間人では、50~100万人の方が亡くなっておられますので、合計で約300万人の命が失われたことになります。

対してアメリカ人は、太平洋で約15万人が亡くなっています。

第二次世界大戦すべての戦いで、アメリカ兵は約40万人の方々がお亡くなりになっているのです。

第二次世界大戦では、6000~8500万人の方々が亡くなられたと言われています。

その世界大戦の一部であった大東亜戦争で、数百万人の方々が命を落とされたのです。

これらの悲劇を繰り返してはいけないと、この数字を見るだけでも、考えさせられます。

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太平洋戦争の簡単年表

1941年12月8日、『真珠湾攻撃』。日本がアメリカ・イギリスへ宣戦布告。太平洋戦争開戦

1941年12月10日 、マレー沖海戦。日本軍がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレバルスを撃沈。
イギリスのチャーチル首相は、伝統ある戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈んだことを聞いて

イギリス海軍始まって以来、もっとも悲しむべき事件がおこった

と言って涙した。

1942年2月15日、シンガポールに駐屯していたイギリス・オーストラリアの軍が、激戦の末に日本軍に降伏

1942年3月13日、アメリカ軍フィリピン司令官マッカーサーが、日本軍の猛攻により、フィリピンから逃亡

1942年6月5~7日、ミッドウェー海戦、日本軍がアメリカ軍に敗北。日本の空母・赤城、加賀、蒼龍、飛龍が失われる。この戦いから形勢は逆転し、日本軍は負けつづけることとなる。

1942年7月、日本軍がフィリピン全土を占領。

1942年9月9日、日本の潜水艦伊25潜から発進した艦載機が、アメリカ・オレゴン州を空襲。

1943年2月1~7日、日本軍がガダルカナル島から撤退。

1943年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六が乗っていた飛行機が、ブーゲンビル島の上空で撃墜され、戦死。

1943年10月、日本軍がフィリピンの独立を許可する

1943年11月22~26日、エジプト・カイロで、英米中首脳会談(カイロ会談)

1943年11月28日~12月1日、イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。

1943年12月5日、マーシャル諸島沖航空戦

1944年3月8日、日本軍がインパール作戦開始。このインパール作戦に参加した日本兵は、ほとんどが亡くなったため、後世に史上最悪の作戦と呼ばれることとなる

1944年3月31日、山本五十六の後任者である古賀峯一連合艦隊司令長官が、搭乗機の墜落で殉死(海軍乙事件)

1944年6月15日、アメリカ軍が、サイパン上陸(サイパンの戦い)

1944年6月16日、アメリカ軍が、中国大陸から北九州へ、はじめての空襲をおこなう。

1944年6月19日、マリアナ沖海戦、この戦いで日本軍は航空戦力と空母・大鳳と翔鶴を失い、制空権を奪われることとなる。

1944年7月4日、インパール作戦中止。

1944年7月18日、東条英機内閣が総辞職。

1944年8月2日、テニアンの戦いで日本軍玉砕。

1944年8月11日、グアムの戦いで日本軍玉砕。

1944年10月10日、アメリカ軍が沖縄・台湾を空襲

1944年10月23日、レイテ沖海戦。 この戦いで日本の空母・瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田が沈没。

1945年2月、クリミア半島の都市ヤルタで、英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)。

1945年3月、イランとトルコが日本へ宣戦布告。親日国トルコでは、市民が日本への宣戦布告に反対してデモ。

1945年3月3日、アメリカ軍がマニラを占領。

1945年3月10日、東京大空襲

1945年3月12日、名古屋大空襲

1945年3月14日、大阪大空襲

1945年3月16日、神戸空襲

1945年3月25日、名古屋大空襲

1945年4月1日~6月23日、沖縄戦

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1945年4月5日、ソビエト連邦が、日本に対して1946年で期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣が総辞職。

1945年4月12日、アメリカ大統領のルーズベルト大統領が死去、副大統領ハリー・S・トルーマンが大統領に就任。

1945年4月30日、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーが自殺。

1945年5月2日、ドイツ・ベルリン陥落。

1945年5月7日、ドイツのカール・デーニッツ大統領が、無条件降伏。これにてナチス・ドイツ滅亡。

1945年8月6日、アメリカ軍が広島に原子爆弾を落とし、10万人以上の民間人が亡くなる。

1945年8月8日、ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄。ソビエト連邦が日本に対して宣戦布告。満州と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)

1945年8月9日、アメリカ軍が長崎へ原子爆弾・ファットマンを落とし、約7万人の民間人が亡くなる。御前会議でポツダム宣言(無条件降伏)の受諾を決定。
*
1945年8月15日、昭和天皇が、全日本国民に対して玉音放送(終戦の詔)をおこなわれ、戦争が終わる。鈴木貫太郎内閣が総辞職。

1945年8月15日、日本軍が無条件降伏。

1945年8月30日、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に到着。

1945年9月2日、降伏文書に調印し、太平洋戦争終結。

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太平洋戦争についてひとこと言いたい!

日本は悪いことをした

日本は謝れ

これは、最近、日本のお隣の地域が、しきりに日本に対して騒いでいる言葉です。

果たして日本は、それほどまでに悪いことをしたのでしょうか?我々の先祖は、そんなにも悪人だったのでしょうか?

筆者は、そんなことはなかったと思います。

我々の祖先は、そんなにも残酷な人間ではなかったと想うのです。

戦時下の台湾で生まれ、のちに日本へ帰化してくれた金美齢(きん みれい)さんがおっしゃっておられました。

「私は日本統治下の台湾で生まれ、日本兵にはとてもお世話になった。

私は何度も、日本軍のトラックにのせてもらい、移動したものだ。

日本兵は、とても優しかった」

昔の日本兵は、誰よりも優しく、幼い金美齢さんを守ってくれる存在だったのです。

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少し話がそれますが、日本人は、古来から弱い者・敗北したものに優しかったということをご存知でしょうか?

日本の歴史には、志半ばで亡くなった者たちが数多くいます。

源義経や真田幸村。

彼らは、源頼朝や徳川家康などの強大な敵に立ち向かい、敗北し滅びました。

そんな義経や幸村を、日本人は愛し、憐れみを抱いたのでしょう。現在でも日本の各地に義経伝説や幸村伝説などの生存説が残っています。

義経や幸村、挙句の果てには織田信長を討ち果たした明智光秀までも、生存説や名君であったという説が存在しています。

日本人は、弱い者や敗北した者に対して、とても優しく、憐れみをもって接する民族であると考えられます。

そのため義経・光秀・幸村のような人々が、実は生きていた。そして幸せになった、というストーリーを生みだして、その悲しみを慰めていたと考えられます。

敗北者を慰める風習からしても、日本人の優しさが感じられます。

そんな日本人が、あの戦争に限って、残虐非道なことを各地でおこなったのでしょうか?

筆者には、どうしても納得が出来ないのです。

もしも日本人が、悪逆非道な罪を犯したというのなら、その末裔である日本人は、それを教訓として、同じあやまちを繰り返してはいけないと思います。

ときには謝罪や償いも必要でしょう。

しかし、それが真実でないのなら、話はまったく別です。

真実でないのなら、謝罪も償いも、すべきではないのです。

罪に見合う罰や償いは必要です。

しかし、罪に見合わない、行き過ぎた償いや謝罪は、さらなる悲劇を招くものです。

レ・ミゼラブルという映画(小説)をご存知でしょうか?

この作品の主人公ジャン・ヴァルジャンは、ひとかけらのパンを盗んだことで、なんと19年も投獄されたのです。

このように、罪に見合わない罰は、途方も無い悲劇を招いてしまうものなのです。

罪に見合わない罰が、悲劇を招く

これは現在の日本とあの隣国との関係性を見れば、もはや明らかでしょう。

やってもいないことで下手に謝罪しては、偉大なる先祖たちの名誉を傷つけることになります。

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筆者が好きなマンガに、ジパング、という作品があります。

現代の自衛隊が、ミッドウェー海戦直後の1942年にタイムスリップするというお話です。

その中で、旧日本軍の兵士が、未来から来た自衛官に、一つの質問をするのです。

「一つだけ教えてほしいことがある。

あんたらの時代で、日本は平和なのか?」

それに対して自衛官はこう応えます。

「もちろんだ。

あなた達のおかげで、未来の日本は世界でもっとも豊かで、平和な国になっている」

この漫画が描くように、あの戦争で戦った軍人さんたちは間違いなく、未来の日本が豊かで平和になることを願い、戦ってくれたことでしょう。

そんな方々が、お隣の半島地域の人たちが言うような悪事を働いたとは、筆者にはどうしても思えないのです。

戦後70年、平成という時代が終わり、令和という時代が始まった今、日本人は誇りを取り戻すためにも、歴史の真実を自らの手で掘り下げ、学び、直視するべき時なのではないでしょうか。

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まとめ

本日の記事をまとめますと

太平洋戦争とは、1941年12月8日~1945年8月15日に日本とアメリカの間で起こった戦争。

あの戦争は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの罠によって始まった。

太平洋戦争は、もともと大東亜戦争と呼ばれていたが、日本を悪者にするため、アメリカが大東亜戦争と呼ぶことを禁じた

日本の敗因は、国力10倍のアメリカに、無茶な戦争を仕掛けたこと

以上となります。

本日はレキシルへお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当レキシルへお越しくださいませ。

ありがとうございました

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2024-09-03 06:46 点击量:8